12月23日放送の『人生が変わる1分間の深イイ話』に女優の高橋惠子さんが出演されます。
番組の中では高橋惠子さんの壮絶な過去が明かされるようです。
ドラマや映画・舞台などで長年活躍されている高橋惠子さんですが、デビュー後はスキャンダルも多く、世間を騒がせることも度々だったようです。
今回はそんな高橋惠子さんの過去に一体何があったのか、調べてみました!
高橋惠子さんプロフィール
名前:高橋惠子(たかはし けいこ)
旧姓・旧芸名:関根 恵子(せきね けいこ)
生年月日:1955年1月22日
出身地:北海道川上郡標茶町
血液型:AB型
身長:162cm
所属事務所:ブロウアップ
北海道で牧場を営む家に生まれた高橋惠子さん。
高橋さんが小学生の頃、実家の牧場経営が行き詰まり、家庭の事情で転々とする日々が続き、東京都府中市へ移り住むことに。
当時から大人びた容姿だった高橋さんは中学2年生の時に大映のスチールカメラマンにスカウトされたことがきっかけで、芸能界に入ります。
デビュー作は1970年8月封切の『高校生ブルース』
出典:https://joshinweb.jp
妊娠する女子高校生という衝撃的な役を演じ、15歳とは思えない大胆な演技で話題を集めました。
同年には『おさな妻』でゴールデンアロー賞新人賞を受賞するなど、演技力においても高い評価を得ています。
その後、17歳の時に人気テレビドラマ『太陽にほえろ!』にヒロイン役で2年間レギュラー出演し、人気女優へと飛躍していきます。
【関連記事】
映画『高校生ブルース』で高橋惠子の恋人役を務めた美少年俳優の現在の姿は?
ストレスによる自殺未遂
高橋惠子さんは1977年、22歳の時に不眠症のために医者からもらっていた睡眠薬24袋を一気に飲み、自殺未遂を起こしてしまいます。
自殺の原因はストレスによるものだったようですが、仕事というより、当時お付き合いされていた方とうまくいっておらず、人間関係での悩みによるところが大きかったようです。
幸い、自殺を図ってからすぐに搬送されて一命を取り留めましたが、あと5分搬送が遅かったら危なかったそうです。
ストレスで人としゃべることができなかったり、自律神経失調症になってしまった高橋さんはその後、女優業を休業し、当時お付き合いをされていた作家の河村李里(かわむら きり)さんと岐阜県の飛騨の山奥で暮らしていたことを明かしています。
その後、約2年間の休業を経て、演じることへの意欲が再燃してきた高橋さんは女優業への復帰を決意します。
舞台を投げ出し、タイへ逃避行
休業の2年後、24歳の時に事務所に女優復帰を申し出た高橋惠子さんはすぐに舞台公演『ドラキュラ』の出演が決まります。
しかし、長い間休業していた高橋さんは演技に対しての恐怖感に苛まれ、舞台前日に河村李里さんとタイのバンコクへ逃亡してしまいます。
当時の状況について高橋さんは「若気の至りというのか…その時は死ぬつもりだった」と語られています。
逃亡は112日にも及び、捜索願まで出されていた高橋さんは日本へ帰ることを決断。
同年11月に帰国し、謝罪会見を開きますが、そこで待ち受けていたのは周囲の批判でした。
記者からは「あなたは人間失格」と厳しい追求をされ、他の俳優も「高橋惠子が出演するなら出ない」と共演NGにされるほど風当たりは強かったといいます。
一時は芸能界引退を決意しますが、約1年間の謹慎期間を経て、翌1980年1月に芸能界復帰会見を開き、女優として活動を再開しました。
高橋伴明さんと結婚
復帰後は迷惑をかけた周囲への恩返しができるようにと、もらった仕事は断らずに全て受けていたという高橋惠子さん。
1982年には映画『TATTOO<刺青>あり』に出演し、そこで映画監督の高橋伴明さんと知り合い、結婚されました。
同時に「自分に近いところで女優をやってみたい」と、芸名もそれまでの『関根恵子』から『高橋惠子』に改名。
結婚を機に女優としても心機一転し、その後は大河ドラマへの出演や映画『カミハテ商店』での主演など、大人の落ち着きある女性の役柄を数多く演じられています。
まとめ
今回は女優・高橋惠子さんの過去や世間を騒がせたスキャンダルについてまとめてみました。
自殺未遂から海外への逃亡など波乱万丈な生き方をされてきた高橋惠子さんですが、結婚後はお子さんにも恵まれ、現在はお孫さんが5人もいらっしゃるようです。
若い頃の苦しい時期から一転、現在は幸せに過ごされているようで何よりですね。
今後の活躍にも注目です!